手取り16万円。
一馬力。
今考えると、よく生活できていたと思う。
当時の私はまだ若く、転職したばかりだった。
妻のお腹には子どもがいた。
車のローンもあった。
月に2万円を超える奨学金の返済もあった。
スーツもいる。
シャツもいる。
靴もいる。
携帯代もいる。
ガソリン代もいる。
保険もいる。
交際費もいる。
そして、これから子どもも生まれる。
16万円なんて一瞬だった。
今の私が同じ状況になったら、正直どうしていいか分からない。
義父母の存在がなければ、生きていけなかったと思う。
食事は鶏の胸肉ばかりだった。
小遣いは1万円、多くても2万円。
映画に行くお金すらなかった。
たまに義父母から援助をもらいながら映画を観に行った。
貯金なんてなかった。
私の実家も、まだ妹が大学生で余裕がある状況ではなかった。
だから、自分たちで何とかするしかなかった。
私は後に長い間家計を管理するようになる。
娘が私立中学校へ進学してから大学生になるまで、家計のことはほぼ全てやってきた。
二馬力で世帯年収1000万円を超えても、家計は楽ではなかった。
旅行もたくさん行った。
沖縄。
北海道。
ハワイ。
ベトナム。
周りから見れば贅沢に見えたかもしれない。
でも、我が家には必要だった。
いつまで家族3人で旅行できるか分からない。
だから、今行かなければいつ行くんだ。
そう思っていた。
家計の限界で回しながら、家族の希望だけは叶えてやりたかった。
妻にはよく言われた。
「家事を全部やっているんだから、プレゼントくらい当たり前でしょ」
確かに私は家事をほとんどしていなかった。
ゴミ出しをするくらいだった。
だから私は、自分にできることをするしかなかった。
お金を稼ぐこと。
家計を回すこと。
それが私の役割だった。
家族の形はそれぞれだと思う。
でも、家計を回すことの大変さだけは骨身に染みている。
ただ、振り返ると気づくこともある。
娘の行事には全部参加してきたと思っていた。
でも違った。
赤ちゃんの頃は、ほとんど妻に任せきりだった。
夜泣きも。
育児も。
当時の私は余裕がなかった。
カメラもまだ始めていなかった。
だから我が家のアルバムは、幼稚園に入る頃までは妻が撮った写真ばかりだ。
今になって少し申し訳ない気持ちもある。
私がカメラを始めたのは、会社の同期と勢いで始めたのがきっかけだった。
そして知った。
写真の世界は、自分の知っている世界とは全く違った。
その時、強く思った。
家族の写真を、綺麗に残したい。
記録しなければならない。
そう思った。
だから今でも写真を撮っているのかもしれない。
仕事も楽ではなかった。
今なら完全にハラスメントと言われる時代だった。
休日でも電話が鳴る。
怒鳴られる。
車が売れなければ給料は少ない。
店長に皆の前でバインダーで叩かれたこともあった。
毎朝床を綺麗に拭いても、わざと汚していく人もいた。
お客さんに怒られることもたくさんあった。
こうやって私は16万円を稼いでいた。
多分、妻も娘も知らない。
お金を稼ぐというのは、本当に大変なことなんだと思う。
家族の形もそうだ。
お互いの生活が全て見えているわけではない。
喧嘩もする。
すれ違いもある。
だからこそ思う。
一番幸せだったのは、仕事もしがらみもなく、お金もなかったあの2か月だったのかもしれない。
長く続くものではない。
でも、あの時だけはお互いの背景をほぼ100%理解できていた気がする。
お金もなかった。
将来も見えていなかった。
それでも、お互いをまっすぐ見ていた。
16万円というお金に、どれほどの価値があるのかは分からない。
でも、あの16万円で得たものもあれば、失ったものもあった。
大きなお金を稼いだ人が、失うものも多かったと言う話を聞く。
きっとそれは、小さなお金でも同じなのだと思う。
そんな現実を、私は見てきた気がする。

