妻の地元へ引っ越した方法とかは実はあまり覚えていない。
電車だったのか、どうやって辿り着いたのかも覚えていない。
当時借りていた賃貸マンションをどうやって解約したのかも記憶が曖昧だ。
おそらくその辺りは私の両親もたくさん動いてくれたのだと思う。
倒産直後だったからだろう。
正直、それどころではなかった。
気づいたら新しい生活が始まっていた。
私たちが妻の実家へ戻ることになると、義父母は家を改装して待っていてくれた。
リビングは綺麗になり、フローリングも新品だった。
リビングの隣にダイニング。
その横に寝室。
決して広くはなかったが、当時の私たちには十分だった。
妻のお腹には子どもがいた。
私は知らない土地で生活を始めることになった。
安心できる場所といえば、毎日歩いた散歩道くらいだった。
ここへ来るまでにも色々あった。
私は長男だった。
だから当然のように両親からは、
「なぜこちらへ来ないのか」
と言われた。
倒産した後、今度は身を寄せる場所で悩むことになった。
何事も簡単にはいかない。
でも私は妻を選んだ。
妻が安心できる場所が一番だと思ったからだ。
今思えば、あれは人生の大きな分岐点だった。
それから2か月ほど、妻と毎日のように散歩した。
何を話していたのかは覚えていない。
でも歩いていたことだけは覚えている。
不思議なものだ。
お金もなかった。
将来も見えなかった。
でも、あの時間は案外嫌いではなかった。
その後、就職した。
ハローワークへ通い、面接を受けた。
面接の日は妻が車で送ってくれた。
土地勘がないので、近くのコンビニで降ろしてもらうのがいつもの流れだった。
その時の同期たちは今でもその会社に勤めている。
私だけが辞めてしまった笑
最初の頃は本当にお金がなかった。
就職した時に買った車は15万円の中古車だった。
勤務先の中古車部門で購入した。
担当の人に言われた。
「15万円だからキャッシュでいいよね?」
私は答えた。
「15回ローンでお願いします」
今でも覚えている。
担当してくれた人は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
妻も車が必要だった。
おばあちゃんから譲ってもらった軽自動車に乗っていた。
エンジンをかけるたびに
「キーーーッ」
と高い音が鳴る。
娘を幼稚園へ送る時、
「恥ずかしい」
と言っていたのを覚えている。
だからだろうか。
私はその後、妻にはなるべく新しい車に乗ってもらおうと思った。
気づけば仕事も軌道に乗った。
昇進もした。
同期から
「出世頭だな」
と言われたこともあった。
私もそのつもりで家族のために必死に働いた。
結果、一番最初に辞めてしまったけれど笑
その土地で家も建てた。
周りからは
「もう永住じゃん」
と言われた。
私もそう思っていた。
結果的には東京にいるのだから人生は分からない笑
妻の地元での20年間は一言では語れない。
娘が生まれた。
家族旅行にも行った。
運動会もあった。
受験もあった。
笑ったこともあった。
喧嘩したこともあった。
人生そのものがそこにあった。
私の両親も孫に会いに何度も来てくれた。
今では当時住んでいた家は解体され、建て替えられている。
もうあの家はない。
でも私の記憶の中には残っている。
写真もたくさん残っている。
私たち家族3人の思い出は、あそこから始まった。
当時の私は、まさか20年後に東京で一人暮らしをしているなんて想像もしなかった。
ただ目の前のことに必死だった。
お金もなかった。
知り合いもいなかった。
何もないところからのスタートだった。
でも、それで良かったと思う。
目の前のことを一生懸命生きてきたから。
あの散歩道も、改装してくれた義父母の家も、15万円の車も、今はもうない。
それでも、あの町で始まった20年間が私たち家族の土台だったことだけは間違いない。

