娘がまだ小学校に入る前だったと思う。
妻の実家から幼稚園に送っていた記憶と、新しい家から幼稚園に送っていた記憶がある。
家は私の夢の一つだった。
結婚式の日、皆の前でスピーチしたことを今でも覚えている。
「自分の夢の一つはマイホームを建てること」
今思えば、いつからそんなことを考えていたんだよって感じだけど笑
理由はある。
私の実家は平屋だった。
兄弟三人。
部屋らしい部屋があったわけではない。
私は縁側のような場所を自分の部屋として使っていた。
妹に至っては、部屋はなかったと思う。
それでも両親には感謝している。
ただ、子供心に友人の二階建ての家に憧れていた。
広い部屋にも憧れていた。
ありきたりだが、そのありきたりが欲しかった。
家族ができたら絶対に叶えようと思っていた。
そんな夢だった。
現実は、結婚して手取り16万円の生活だった笑
マイホームなんて夢のまた夢。
娘も少しずつ大きくなり、仕事も四年目くらいになった。
それでも年収は400万円ちょっと。
まだまだ余裕なんてなかった。
我が家は、大きなことは大抵妻から始まる。
発案者が妻。
実行部隊が私。
そんな感じだった。
マイホームも同じだった。
突然、
「近くにマンションができたみたいだから見に行ってみない?」
と妻が言った。
歩いて見に行った。
でも、私の思い描く家とは少し違った。
庭もない。
思ったより狭い。
その日はそれで終わった。
しばらくして今度は、
「前に見に行った建売のところを見に行ってみない?」
と妻が言った。
実は一年前。
まだ何も建っていない頃に、一度その場所を見に来ていた。
区画だけが整備され、
「本当にここに家が建つのかな」
と思うような場所だった。
一年ぶりに訪れると景色は一変していた。
街並みができていた。
外構も完成していた。
住宅街の中の一棟を案内してもらった。
その家が、我が家になるとは思ってもいなかった。
案内してくれた女性が言った。
「最後の一棟なんです」
その時は、
「そうなんですね」
くらいだった。
でも、他にも検討している人がいて返答待ちだという。
そこからは早かった。
住宅展示場で説明を受け、
FPの方と資金計画を立てた。
どうやら払えるらしい笑
当時の私は若かった。
素直に信じた笑
今はFPの資格を持っているが、当時の私たち夫婦にとって、その肩書きはとても大きな存在だった。
背中を押してくれた。
妻とも意見は一致した。
娘もこれから小学生になる。
ちょうどいい。
そう思った。
だが、夢を叶えるのは簡単ではなかった。
最初に案内された地銀の住宅ローン審査に落ちた笑
収入と勤続年数の問題だった。
正直、終わったと思った。
ところが住宅メーカーの営業マンから紹介された大手銀行では、なぜか通った。
今でも基準は分からない笑
気づけば妻の起案から一か月ほど。
私は夢を叶えることになった。
何年か後。
当時断られた地銀の営業マンが借り換えを勧めに来た。
そこは私も人間である。
丁重にお断りさせていただいた笑
夢のマイホームは、17年近く私たち家族と共に歩んでくれた。
庭でバーベキューもした。
友人たちと集まって食事もした。
娘は幼稚園から高校卒業まで、その家で育った。
本当にいろんなことがあった。
最高の家だった。
東京に来て一年。
家族の形が変わって半年。
そして今、夢だったマイホームは、新しい家族の夢を叶えるために旅立とうとしている。
契約書も交わした。
今週には鍵を渡すことになっている。
この一年。
地元に帰るたび、誰もいない家に帰った。
鍵を開けて。
空気を吸って。
何もないリビングのフローリングに座った。
二時間くらい、ただ家を見ていた。
毎回写真を撮った。
同じ写真なのに。
それくらい私にとって思い出深い場所だった。
大きな大きな人生の転機。
でも、不思議と寂しさだけではない。
17年間。
家族を守ってくれてありがとう。
夢を叶えてくれてありがとう。
この夢のマイホームへの感謝は、一生忘れないと思う。

