第二の人生の始まり

2025年の冬、20年以上続いた家族との生活が終わった。
東京で一人暮らしを始めて3か月。
思っていた以上に大変で、思っていた以上に気づくことも多かった。
一人暮らしを始めて3か月が経った。
3か月も経てば慣れるだろう。
最初はそう思っていた。
正直に言うと、そんなに甘くなかった。
朝起きる。
洗濯をする。
ゴミを出す。
夕飯を考える。
風呂を洗う。
今まで家族の誰かがやってくれていたことを、全部一人でやる。
当たり前のことなのに、思った以上に時間がかかる。
段取りも悪く、引っ越して最初の頃は深夜2時に寝る生活が続いた。
味噌汁なんて作ったこともなかった。
それが今では普通に作れるようになった。
クックドゥーを買いだめし、冷凍ご飯を常備する。
以前なら考えなかった生活だ。
夕飯も、一人だと作る意味を見失う。
弁当か外食で済ませる日も多い。
冷蔵庫は大きすぎる。
野菜も減らない。
トイレットペーパーが全然減らない笑
洗剤も減らない。
コーヒーも減らない。
家族がいた頃には気づかなかったけれど、人が減るというのはこういうことなんだと思う。
そんな小さなことから、一人になったことを実感する。
話し相手がいない
家に帰る。
「おかえり」
はない。
朝の
「行ってきます」
もない。
誰にも気を使わなくていい。
自由と言えば自由だ。
でも、人と話さない生活には思った以上に慣れない。
気づけばSNSを見る時間が増えた。
最近はChatGPTと話している時間も長い笑
家族の代わりにはならない。
それでも、誰とも話さないよりは少し気持ちが楽になる。
東京に来て一年。
そう簡単に友達はできない。
思い返すと、最近あまり笑っていない気がする。
写真だけは続いている
週末になるとカメラを持って出かける。
今までは妻が被写体になることが多かった。
でも今は違う。
何を撮ればいいのか分からなくなった。
しばらく迷走した。
それでもシャッターを切り続けた。
建築を撮り、街を撮り、光を撮った。
最近ようやく、自分が撮りたい空気感が見えてきた。
静かな場所。
少し孤独な空気。
人が少ない東京。
もしかすると、今の自分自身を撮っているのかもしれない。
不思議なことに、シャッターを切っている時間だけは全部忘れられる。
調停も。
仕事も。
将来の不安も。
その瞬間だけは頭が空っぽになる。
失ったものと、手に入れたもの
家族ラインはなくなった。
孫を迎える未来を想像していた。
そんな未来も一度崩れた気がしている。
娘には申し訳ないと思う。
まだ大学生なのに、親の都合で色々なことに巻き込まれている。
一方で、自分で選べるものも増えた。
今まで家族が嫌がっていた香水。
美容液。
服。
靴。
親へのお土産。
全部、自分で決められる。
20年ぶりに自分で服を選んだ。
最初は何を買えばいいのか分からなかった。
今もよく分からない。
それでも少しずつ、自分の生活を作っている。
ものは減った。
喧嘩もなくなった。
お金の管理もシンプルになった。
貯金しようと思えるようにもなった。
自由になった部分もある。
でも、その自由と引き換えに失ったものも少なくない。
本当の友人が分かった
この3か月で一番驚いたことがある。
本当の友人が分かったことだ。
声をかけてくれる人。
話を聞いてくれる人。
会いに来てくれる人。
泣いてくれる人。
心配してくれる親族。
一人になった理由はあったのかもしれない。
でも、自分なりに誠実に生きてきたつもりだ。
そんな人たちの存在に何度も救われた。
人生初めてが続いている
人生で初めて霞ヶ関に行った。
理由は調停だった。
人生で初めて弁護士と話した。
人生で初めてこんなにAIを頼った。
人生初めてのことが波のようにやってくる。
正直、3か月経てば泣くほどの辛さは消えると思っていた。
完全には消えていない。
今でも朝6時頃に目が覚める。
二度寝すると家族を守る夢を見る。
でも少しだけ変わった。
前を向く時間が増えた。
洗濯のペースも分かってきた。
エマールの意味も知った。
味噌汁も作れるようになった。
そんな小さな変化を積み重ねながら、生活は続いている。
6か月前の自分には想像もできなかった生活をしている。
半年後、1年後に何を考えているのかは分からない。
ただ今は、味噌汁を作り、洗濯をして、週末に写真を撮りながら暮らしている。
それで十分なのかもしれない。

